2010-11-28

「市民の山:京北合併記念の森を探検しよう」 ~森のマップつくり 山でごはん 森のしごと~ 報告

 11月28日は好天のはずが、ときおり時雨れて肌寒い日でした。参加者は一般から6家族19人(内子ども6人)と学生4人、スタッフが7人、京都市職員から2名、合計32人で、6家族はいずれも京都市域にお住まいの方々でした。


参加者の多くはマイカーで来られ、バスは利用せずに済みました。10時に京都市内唯一の道の駅、ウッディ京北に集合、10時半現地(記念の森弓削矢谷口近辺)到着。京都市林業振興課の石浦氏による合併記念の森の概要説明の後、一同は西の間伐整備エリアに移動、林研(=林業研究会)の三間氏から間伐整備についての説明を受けました。


この山は元来、杉の生育には向かない地質だそうで、松山として利用されていたが、ヒノキや杉も植えられました。20年ほど以前のゴルフ場開発工事以来、放置されたままになっており、間伐など何らかの手入れが求められています。近年、松枯れでほとんどすべての松が枯れてしまいました。


間伐体験として、2本の杉が伐られ、皮剥きの指導も行われました。この林の杉は手入れからみて、磨き丸太用に育てられていたものだそうで、植わっている密度もそれなりに高いです。今後、一般材林として整備するために、間伐を進める計画のようです。
12時近くになって、京都1周トレイルとなった古道を歩き始めました。まずは弓削矢谷側にある古墳を見学。石室の一部が見られます。この辺りは苔が多く、広葉樹も混ざって、落ち着いた雰囲気でした。ここからやや大径木の林を登って、峠に至ります。かつては高校生も通学に歩いたのだそうです。暗くなってからの帰り道はさぞかし怖かったことでしょう。峠には塚があったらしい盛り土が見られ、大きなネジキの木が印象的でした。ここで一同、休憩を兼ねて記念撮影。




 峠を降りたところ、古い作業道に出る辺りに、かつてのマンガン採取を行った坑道跡があります。熊が出て来るのではないかと心配しながら、暗い穴の奥をおそるおそる覗いてみました。そこからは新しく整備された作業道を20分ほど歩いて、昨年建設された管理棟、今年度建設中の作業棟工事現場にたどり着きました。すでに1時を回っていました。


雨を除けるため、作業棟工事現場内で、鹿肉と野菜がたっぷり入ったカレーライスの昼食。子どもたちも美味しいと食べていました。3升のお米を炊き、カレーを50食分ほどを用意していましたが、現場で実習している京都建築専門学校の学生たちも一緒だったこともあり、完食!
 食後、運転手7人が車を取りに移動している間は自由時間に。子どもたちはこのエリアを元気に走り回っていました。2時過ぎより、京都建築専門学校の佐野氏が作業棟の工事を説明。管理棟内にて、林研の塔下会長らの話を聞く。(この間、子どもたちはスタッフ学生と一緒に、枯れ枝で焚き火をして、焼きイモ焼いていました。)


 塔下氏の話:
・この山はゴルフ場開発工事の中途で放置されたため、各所で土砂崩れが発生、あるいは人工林も手入れされず荒れていた。それが20年自然のままに経過した状態を現在、見ている。その意味で面白いモデルとも見られる。
・この山をどういう目的で活かして行くのか、それはある程度、構想計画として京都市にあるが、詳細はまだ詰まっているわけではない。基本的な考え方として、他に無い生態のモデル林として活かして行くか、他の山と同様に林業で経営されうるモデルとして整備していくかということがある。
・それとは別に、この地域で住んで来た人たちの生活の場として、この山にはいくつもの文化的な痕跡がある。古墳やマンガン坑など、古道を歩いて見てもらった通り。個人的には、こうしたものはそのまま残しておいて欲しいと思っている。
・残念なのは、今日の国の林業に対する姿勢は、木造建築用材としてこの管理棟に見られるような木材の利用ではなく、全く逆の方向を向いている。すなわち、パルプチップや集成材としての利用で、国産材利用率アップを図る。効率性を上げることで、単価はむしろ安くなっているので、従来の木つくりとは全く違うものになってしまうだろう。

 3時半、焼けたイモをいただき、お茶を飲みながら、このイベントのしめくくりとして記念写真撮影。その後、現地にて解散しました。参加された皆様、スタッフの皆様、お疲れさまでした。

0 件のコメント:

コメントを投稿